『方法序説』デカルト
「我思うゆえに我あり」という言葉で有名な本書だが、正式名称 『理性を正しく導き、学問において、真理を探求するための方法序説』で、真理にたどり着くための方法論について書かれた本である。言い方が悪いが意識高い系の本に書いてあることの原本の原本のような本。
- 第一部 諸学問の放棄
- 第二部 真理を探求する方法
- 第三部 道徳的な規則
- 第四部 神の存在と人間の魂の存在証明
- 第五部 自然学の諸問題の秩序
- 第六部 自然の探求においてさらに先に進むために必要なこと
- ひとこと
第一部 諸学問の放棄
人は誰しも「理性」を持っている。理性とは「正しく判断して、真偽を区別する能力」。理性は全ての人が平等に持っているもので異なる意見を持つのは用いる方法が悪いから。理性を正しく用いることができれば真理にたどり着くことができる。
数学は論拠の確実性と明証性を持っている。ただし現状は機会技術の役にしか立っておらず、もっと数学を基盤とした学問は増えるべき。
哲学は、賢人達によって開拓されてきたが論争が続いていないものは無くその全てが疑わしくものである。真理はひとつしかないはずなのに、哲学では学者によって主張が異なる。これらのことよりは今までの哲学を虚偽とみなす。また、哲学の考えをスタートとするすべての学問は脆弱な基盤の上に存在する以上学ぶ価値がない。
勉強してわかったことは前例と慣習を理由に納得してきたことを信じてはいけないということである。既存の学問は前例と慣習によるものであり、書物での勉強よりも旅による勉強により真理に近づくことができる。
第二部 真理を探求する方法
複数人によってなされた仕事は、1人によってなされた仕事の完成度に及ばない。真理についても同じで複数人で考えたものよりも、私が1人で考えたものの方が純粋で堅固なものである。
論理学を構成する多数の規則は、次の4つの規則で十分で等価値である。
- 明証性:私が明らかに真であると認めないものは真とみなさない
- 分析:難しい問題は小さく分割して考える
- 総合:単純で分かりやすいものからはじめてだんだん複雑で難しいものについて考える
- 枚挙:何一つ見落とさなかったと確信ができるほどに完全な枚挙と広範な再検討を行う
第三部 道徳的な規則
真理の探求をするまでの間に自分の行動を道徳的な規則を3つ定めた
- 国の法律と習慣に従う
- どんなに疑わしいものでも一度決めたら、それに一貫して行う
- 世界の秩序よりも自分の欲望を変える
1について、世間で広く認められている穏健な考え方に従うべき。極端なものは悪く、穏健なもの良いことが多い。極端なものを選んで失敗するよりも穏健なものを選んで失敗した時の方が修正が容易である。
2について、森の中で道に迷った時に最悪なのは方向を変えながら進んだり、止まってしまうことであり、仮にてきとうに方角を決めたとしてもその方角にまっすぐ進み続ければ森から出ることはできる。正解が分からない時は蓋然性が高い意見に従いとりあえず実践でやってみることが重要である。この規則を決めたことで後悔や不安を感じることなく目標に向かって進むことができた。
3について、自分の力の及ばない範囲のことについてあれこれ考えず望まない。運命に抗おうとしない。やるべきことは自分の力の及ぶ範囲のことを考えるだけということを習慣づけるべきである。
第四部 神の存在と人間の魂の存在証明
真理の探求をするにあたっては全てを疑う必要がある。感覚は人を騙すので感覚から生まれるものは存在しない。幾何学の簡単な推論を間違える人がいるので以前には論証としてみなしていた論証は全て虚偽とみなす。自分の精神の全ては眠っている時の夢でも現れるので全て虚偽とみなす。
全てを虚偽だと考えようとする間にも、そう考えている私はなにものかでなければいけない。哲学の第一原理「我思うゆえに我あり」。これはどんな会議論者のどんな仮定でも否定できない真理である。
私の身体や、私が住んでいる世界が実は存在しないという仮想することはできるが、これは私が存在しないことは仮想できない。真理について疑って考えること自体から私の存在が証明される。逆に考えることを辞めた時には自分が存在していると信じる根拠が無くなる。よって、私という存在は考えることに支えられている。仮に肉体が無かったとしても私は存在していることに変わりはない。
神は存在する。理由は2つ。1つは、「完全な存在の概念」を私が知っていること。もう1つは、存在することが完全なる存在者としての神に関する観念の1つであること。(正直よく分からん)
第五部 自然学の諸問題の秩序
世界の生成について(省略)
心臓のメカニズムについて(省略)
第六部 自然の探求においてさらに先に進むために必要なこと
ガリレオの審問に関する報告を聞いて第五部で紹介した内容について本として出版するのは辞めた。理由は自分の真理を探求するための平穏な生活を守るためである。ただし変な誤解をされると嫌なので、この方法序説に付属する形で研究結果についても書き記しておく。
相手の反論が予想できる対話に価値はない。ディベートによってこれまで知らなかった真理にたどり着くことはない。論拠を考察するよりも真実らしく強調することに努力することに価値はない。
ひとこと
困難は分割せよ
正解が分からない問題に対しては、確率の高そうな仮説を立てて実行してみて試行錯誤しながら正解にたどり着く
自分の影響力の及ぶ範囲のことに全力を尽くせ
全てを疑え
人間は考えるという行為によって人間としての生を送ることができる
現代よく耳にする課題解決における発見的手法に関わるものの源流はここなんだなという感じ。「困難は分割せよ」は常に意識している自分が問題を解く上でのライフハックランキング上位に位置するものなので原文に触れることができてよかった。特に感想は無いです。