読書備忘録

読書備忘録

意味のある読書にするための備忘録

『読書について』ショーペンハウワー

読書ブログをはじめる上で最初の1冊としてふさわしいショーペンハウワーの名著『読書について』。読書に対する姿勢・方法論について書かれた本であるが、意味のある読書をするために常々意識したいものである。

 

 

 自分の頭で考える

「本を読むこと自体に意味はなく、自分の頭で考え抜くことに意味がある」

これがショーペンハウワーの読書に対する基本理念であり、これに基づいてすベて書かれている。

 

 

ただ読むだけの多読よりも、読む量は少なくとも自分の頭で考えながら読む方が有益である。多読に対する言葉して「多読は自分の考えを持たないための絶対確実な方法である」は強烈である。

 

 

読書をしても良い唯一のタイミングは、自発的に考える人間が自分の思索が完全に止まってしまったときである。

 

 

考えて読む上での具体的な指針として、「自分で考える人は、まず自説を立てて、自説を検証・強化するために本を呼んで知識を学ぶ。自分で考えない人は、本を読むことからはじめて、本の知識の寄せ集めとして自説を構築する。」という比較は参考になる。

 

 

考えて本を読む際にメモを取ることもとても重要である。「考えが頭の中にある=恋人が目の前にいる」で、恋人を結婚で繋ぎ止めておかないと永遠に去ってしまうのと同様に、どんなに素晴らしい考えも書き留めておかないと忘れてしまい、取り返しがつかないことになるのである

 

 

以下、本文中に繰り返し現れる「自分で考えて本を読む人vsただ本を読んで知識をつける人」についての比喩を書き連ねる。ショーペンハウワーは後述するが比喩の大切さを説いており、同じことを何度も別の比喩で表すということを著書内でも行っている。

  • 咲き誇る春の花 vs 化石に痕をとどめる太古の植物
  • 身に付く知識は「生まれながらに備わっている四肢 vs 義手・義足・義歯・蝋製の鼻」
  • オルガンの根音となる低音のように、常に全体を支配する vs 全ての音色がいわば音楽の切れ端のように迷走し、基音がもはや全く聞こえない 
  • その土地に住んでいたあことがある人 vs たくさんの旅行案内所を眺めてその土地に詳しくなった人
  • 直接判断を下し、自分の上に立つ者を認めない君主 vs さまざまな世論や権威、偏見に囚われ法律や命令に黙々と従う民衆

 

著述と文体について

本の性質、著者、本にまつわる様々な文化についてショーペンハウワーの考えが書かれている。

 

 

本を書く人には2通りいて、①テーマがあるから書く人、②本を書くために書く人。このうち②を読むのは辞めなさい。本の出版によりお金を稼げる仕組みができたせいで悪書が大繁殖している。

 

 

本とは著者の思想を印刷したものである。思想(=本の価値)の価値を決めるのは、素材と表現形式である。

  • 素材:何について考えたか?、著者の書き手としての能力は関係無い
  • 表現形式:どのようにして考えたか?

有名な本についてこのどちらが優れているのかを見極める必要がある。教養を身に付けたいならば読むべきは表現形式が優れた本である。

 

 

本の評論をする人間は実名でその記事を書くべきである。匿名性により安全圏から無責任な本の評論をすることができるようになったことが悪書が世の中ではびこることを助長している。これに歯止めをかける方法は実名投稿の強制しか無い。

 

 

「できる限り偉大な知者のごとく思索し。しかしだれもが使う言葉で書け」これがものを書くときに持つべき心得である。書き手は誰もがわかる平易で、具体的な言葉で自分の考え方を書くべきであり、抽象的で難しい言葉を使って書くのは主張するものが無い、大して思考していないのにそれをそれっぽく書いているにすぎない。

 

 

比喩は「自分と未知の対象との関係を自分の馴染みの対象との関係性に置き換える」ことでありものごとを理解する上で大きな価値を持つ。比喩を使って理解することのメリットは2つある。①分からないことを具体的に考えることで明快に理解できること②既に分かっていることについて他のものごととの関係性を考えることでより深く理解することができること。ただし「比喩を見出す」には「ものごとの同質性を見抜く」という高度な思考が必要であり簡単なことでは無い。

 

 

文章を正しく書くことは極めて重要であるが、近年蔑ろにされつつある。言葉をぞんざいに扱えば言葉を使って考える思考についてもぞんざいなものになる。具体例を出しながら文章の乱れについて批判書き連ねているが割愛。日本語で言うと「ら抜き言葉」や「ヤバいの乱用」などは分かりやすい批判対象。もちろん著書内ではもっと深いを部分に対して突っ込んでいるが。

 

読書について

1章と比べてより具体的な読書の方法論が書かれている。

 

 

読書するとは、自分でものを考えずに他人に考えてもらうことである。読書をすることすなわち他人に考えてもらうことを習慣にしていると脳が腐る。

 

 

読書をする上で一番大事なことは「悪書を読まないこと」である。悪書は時間と金とエネルギーを奪いとる。悪書を読まない方法は、最近の大衆受けする本には手を出さずに、名声の高い古典を読むことである。現代で言うとテレビやニュース、Youtubeも大衆受けする本の仲間に当てはまるだろう。現在人気があっても寿命が数年で終わる本は読む価値は無い。

 

 

重要な本は「続けて2度読むべき」である。2度目になると本の結末および全容を知った上で読むので内容の繋がりをより一層深く理解ができるし、手探りで読む1度目違った目線で読むことで受け取るものも大きく変わる。これは現代における勉強でも同じことが言えると思う。一度解いた数学の問題を全容を理解した上でもう一度俯瞰して眺めることで問題の本質の発見や新しい発見をすることができるのである。

 

ひとこと

読書をする姿勢として、まず自分で考える。そして自分で考えた仮説の検証という目的で本を読む。目的の無い多読は辞めるべき。

読書の方法論として 、名声の高い古典選び、メモを取りながら、2度以上読む。2度目以降は本の全容を意識した上で読む。

 

 

読書に関する本で読書を否定するところからはじまるので読書家の人間にとってはハッとさせられる内容であろう。「この本に対する自説は何か?」「この本を読む目的は何か?」をせめて前書きや目次を読む段階では意識できるようにしたい。邪道かもしれないが1周目の前段階として要約サイトや要約動画を見るのは現代流の良いやり方だと個人的には思っている。「要約→1周目→2周目」と進めるわけである。2周目を確実にするためには読書メモを取る習慣というのは有効だと思う。このブログもその代わりになったら良いなと考えている。

本の選び方として古典を読むことが推奨されているがその理由として挙げられる「悪書を読まない」という視点は非常に新鮮で今まで持っていなかったものなのでぜひ参考にしたいと思う。古人の訓戒は「〜〜しろ」ももちろん数は多いが「〜〜するな」という否定訓も数が多い気がする。何かの基準を考えるときこのように裏側の否定訓を考えるのは役立つことも多いかもしれない。