読書備忘録

読書備忘録

意味のある読書にするための備忘録

『君たちはどう生きるか』吉野源三郎

2017年の漫画化と同時に書店で見かけないことがないほど人気を誇り続ける古典「君たちはどう生きるか」 。コペル君の体験と叔父さんの考えを参考にしながら「君たちはどう生きるか」という問いについて今一度考えてみようと思う。

 

君たちはどう生きるか (岩波文庫)

君たちはどう生きるか (岩波文庫)

 

 

この本の主な登場人物は主人公の中学生コペル君、中学生の友達、近所の叔父さんで「コペル君の中学校での体験→叔父さんとの会話→叔父さんのまとめ」という流れで話が進んでいくが、ストーリー部分を要約することに価値はないので思考・価値観の部分だけ引っこ抜くもしくは私の勝手に抱いた感想をだらだら書いていきます。

 

 

ものの見方について:「人間は分子」

 

「人間って分子みたいだね」これは作中でのコペル君の発言で、これは「自分中心に世界を見る」から「世界を俯瞰して見て、自分を広い広い世界の中の一部として見る」に変わった大きな思考の変化である。これは地球を宇宙の中心であると考える「天動説」から地球を宇宙の中の天体のひとつであると見る「地動説」へと定説が覆されたくらい大きな変化である。作中では先の発言を地動説への変遷と絡めて主人公は「コペルニクス君」縮めて「コペル君」と呼ばれるようになった。

 

子供の頃は自分中心的な天動説のような考え方で、大人になるにつれ地動説のような考え方になってくる 。しかし、人間は損得に関わる場面など多くの場面で天動説な考え方をしてしまっている。自己中心的に、自分の都合の良いところだけ見るような考え方ではものごとの真相は見えてこない。

 

立派に生きる

 

「世の中とはこういうものだ。その中に人間が生きているということには、こういう意味があるのだ。」と一言で他人に説明することは誰にもできない。過去の偉人の思想を本で勉強したり、立派な人間から話を聞いてそれを実行しようとしても「立派そうに見える人間」になるばかりである。「立派な人間」になるためにはまず自分で経験してそこで何を感じたか、何に心を動かされたかについて考えなければいけない。この中に自分の思想があり、この実際の体験によって構築された自分の思想に正直に生きていくのが「立派な人間」である。「誰がなんて言ったって・・・」というような心の張りを持って自分の信念に従って善悪を判断して行動をしていくことが重要である。

 

 

自分の行動は自分の気持ちによって決めるべきである。それに対して他人がどう思うのかは関係ない。他人の考えることを自分が決められるなどという傲慢な考えを持たずに自分のできることを自分の信念に従って行うことが重要である。

 

ニュートンはいかにして重力を発見したか

 

作中で叔父さんが大学生の友達に聞いたとして紹介される話を要約する。

まずニュートンが発見したのは重力の概念ではなく(支えが無くなったら物が落ちるということはガリレオの落体の法則で分かりきっていた事実である)、地球上の物体に働く重力と天体の間に働く引力の2つが同じ物理法則で表せるものだと実証したことである。どうやってこの2つを結びつけることが出来たのかという謎に対する仮説が以下である。

「3〜4mの高さからリンゴが落ちたのを見たニュートンは、これが10mの高さから落ちたとしたらどうなっていただろう?距離が変わったとしても今見たのと同じようにリンゴは落ちるのは当然だろう。では15mだったら?では100mだったら?では1000mだったら?・・・では月の高さから落としたら?リンゴはどれだけ高くから落としても重力が働く限り落ちてくるはずだ。しかし、月は落ちてこない。それはなぜか?月が落ちてこないのは地球が月を引っ張る力と月が地球の周りを回ることで働く遠心力が釣り合っているから。リンゴの例からすると月にも重力は働いているはず・・・?これはどういうことだろう?」

 

偉大な発見というのは案外簡単なところからはじまっている。分かりきっていることについて「Why?」をどんどん追っかけていくと分かりきっているなんて言えないことにぶち当たるのである。

 

人間同士の繋がりについて:「粉ミルクの秘密」

 

赤ちゃんの時飲んでいたオーストラリア産の粉ミルクを見て、オーストラリアの牛からコペル君の口に粉ミルクが入るまでにどのような経路を通るのかを考えてみた。

粉ミルクが日本に来るまで:牛の世話をする人、乳搾りする人、絞った乳を工場に運ぶ人、工場で加工する人、缶に詰める人、缶を荷造りする人、汽車に積み込む人、汽車を動かす人、汽車から港に運ぶ人、汽船に積み込む人、汽船を動かす人

粉ミルクが日本に来てから:汽船から荷を下す人、倉庫に運ぶ人、倉庫の番人、売りさばきの商人、広告をする人、小売の薬屋、薬屋まで運ぶ人、薬屋の主人、薬屋から自宅まで運ぶ人・・・

このようにとてつもなく多くの人が関わっていることが分かった。これは粉ミルクに限らず例えば先生の洋服や靴についても同様だった。

これらからコペル君が見つけたのは「人は知らないうちに見たことも会ったことも無い大勢の人と網目のように繋がって生きている」ということ

 

これは経済学で社会学で「生産関係」と呼ばれるものだが、今や人との知らない大勢の助けを無しには誰も生きていけないというのが人間である。現在のグローバル社会ではさらに広く、さらに密になっている。だからこそお互いに助け合う利他的な精神が人間には必要であり、これこそが人間らしいと言える。しかしながら小さいことから大きなことまで様々な争いが今でも続いている。どうすれば利他的な人間らしい関係を結ぶことができるだろうか考えてみるべきである。

 

人間らしい関係とは「お互いに行為を尽くし、それに喜びを感じられる関係」。母親は子供のために何かしてあげてもそれに対して報酬を欲しがったりしない。仲の良い友達に何かしてあげられたらそれは対価など無くてもそれ自体が嬉しいことである。

 

貧乏について

 

貧乏人というのは何かにつけて引け目を感じてしまう生き物である。しかし、彼らを見下してはいけない。裕福な人間は世界の大多数が貧乏な人間であり、その貧乏な人間の生産を消費して生きていることを認識するべきである。そのことを考えたら彼らに対して感謝することはあっても見下すことはしてはあってはならないのである。今風に言うと頭が良く創造的な仕事に従事して高給の人であっても力仕事をしたり、生産過程の最低辺で仕事をする薄給の人を馬鹿にすることなかれ。また恵まれた環境に生きる人は恵まれた環境に生きていることを自覚し何をすべきかを考えるべきである。

 

「ありがたい」という言葉は「有り難い」であり、本来の意味は「そうあることが難しい」という意味だ。自分の置かれている状況がめったにあることではないと思うからこそ感謝する気持ちになり「ありがたい」という言葉になるのだ。自分の置かれている状況について今一度考えて見てそれが当たり前ではなく「有り難い」状況であることを感じて感謝の心を忘れないようにしよう。

 

中学生のコペル君への叔父さんの質問「君は毎日の生活に必要な品物という点で考えると何一つ生産せずに消費ばかりしている消費の専門家だ。しかし、自分で気づかないうちに他の点である大きなものを日々生み出しているのだ。それはいったい何だろうか?」この答えは提示しないけど、人間であるからには一生のうちにこの問いへの解答を見つけなければいけない。

 

偉大な人間とは

 

偉大な人物とは人類の進歩に役立った人物である。彼らの成し遂げた事業のうち価値のあるものは人類の進歩の流れに沿って行われたことだけである。「彼はその行動でいったい何を成し遂げたのか?」と質問を投げかけることが偉大な人間について知る鍵となる。

 

失敗や苦痛をどう捉えるか

 

失敗や苦痛に関する偉人の言葉が紹介されていたので引用する。

ゲーテ「誤りは真理に対して、ちょうど睡眠が目覚めに対すると、同じ関係にある。人が誤りから覚めて、よみがえったように再び真理に向かうのを、私は見たことがある。」

パスカル「王位を奪われた国王以外に、誰が、国王で無いことを不幸に感じる者があろう。ただ一つしか口が無いからと言って、自分を不幸だと感じる者があろうか。また眼が一つしか無いことを、不幸に感じない者があるだろうか。」

 

失敗や苦痛は正常な状態で無いことから生じる。しかし、風邪を引いてはじめて身体の正常な状態を知るように一般的に失敗や苦痛を経験しないと正常な状態を意識することは出来ない。だから失敗や苦痛は人間が本来どういうものであるべきか、自分がどうあるべきかを知るチャンスだと考えることができる。失敗や苦痛を真摯に受け止めることは難しいことだが人間が絶対やらなくてはいけないことである。死んでしまいたいほどに自分を責めるのは正しい生き方を求めているからこそであり恥じることではない。

 

ひとこと

一番の感想は本の読みやすさと没入感。思考や価値観といった難しい話をストーリー仕立てにすることによって興味を持って苦労無く読ませているという点こそが流石は2018年に漫画化されて大流行した秘訣だと感じた。人にものを伝える時に自分の考えを表現するのにそれに合ったストーリーを展開して説得することの重要性を改めて感じた。

 

ざっくりとまとめると「人間社会を俯瞰的に見て自分は大きな世界の一部、協力関係は必須さであるという考えを持ちながらも自分の行動と他人がそれをどう思うかを分離して考えて自分の信念に正直に世の中のために行動をしろ」

 

失敗を成功への前進と捉えるのでは無く、失敗そのものに価値を見いだすのは面白い考え方であり他ではあまり聞かない考え方で興味深い。失敗した時に「では正解は何だったか?」と考えるのは新しい発見につながる思考法だと思うし、失敗や苦痛を正常な状態からの乖離と捉えて「それが本当に失敗なのか?」「それは本当に苦痛に感じる必要があるのか?」「そもそも自分が正常な状態と認識しているのは正しいことなのか?」と考えることで悩みも激減しそう。人の相談に乗ってカウンセラーのように対応する時に提示する思考法としての有用性も感じた。