読書備忘録

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意味のある読書にするための備忘録

『君主論』マキャヴェッリ

どんな手法や非道徳行為も結果として国家のためになれば許されると言う「マキャベリズム」の語源であるマキャベリによって書かれた理想論を斬り捨て実際を重視する君主の考え方を示した「君主論」。現代とは異なり負けたら亡国、死罪という時代背景の中生まれた思考だが役に立つ考え方もあるだろう。

 

君主論 (古典新訳文庫)

君主論 (古典新訳文庫)

 

 

 

君主政体の種類と獲得方法の種類(1章)

 

国家の統治形態は、共和政体と君主政体の2種類。

君主政体の種類は、世襲によるものと革命家による新しいものの2種類。

獲得した領土は、君主による統治に慣れているか、自由な生活に慣れているかの2種類。

獲得方法は、他者の武力によるもの、自前の武力によるものの2通り。

獲得できた理由は、自分の実力か運かその両方かである。

 

統治について(2章~11章)

 

新しく獲得した土地を支配する有用な方法は、①自らそこに住む、②植民を送り込む。新しい土地に対する支配・統治は意図的に実行しなければいけない。

 

 

統治する場合の人民への対応はたった2つで甘やかすか、抹殺するか。

 

 

軽微な危害に対して復讐は起きるが、深刻な危害に対して復讐は起こせない。危害を与える場合には復讐ができない程徹底的にやらなければいけない。

 

 

賢明な君主は現在の争いだけではなく、将来の争いのことも考えなくてはいけない。あらかじめ予見していなくて事が起きてから対応するのでは手遅れになる。争いの早期発見と対処に全力を傾けるべき。

 

 

世襲制の君主国家を倒した時にやるべきことは君主の血筋の全滅。

 

 

自分たちのルールで生きてきた国を統治する際にはもっとも良い方法は国家を滅亡させてすべてのルールを破壊することである。

 

 

迫害行為は一気に短く行う。恩恵は少しずつ長い期間に渡って与える。

 

 

 

君主は貴族よりも民衆を味方につける方が重要である。貴族が求めることは抑圧することだが、民衆が求めるのは抑圧されないことであり、民衆の欲求を叶える方が遥かに簡単である。民衆は貴族と比べて遥かに数が多いので敵に回すと大変である。

 

 

危害を加えるだろうと思っていた人物からの恩恵はより一層恩義に感じる者である。いわゆる映画のジャイアン効果は君主と人民の関係でも成立する。

 

 

軍備について(12章~14章)

 

国家の土台は法律と武力。武力を持たないところに良い法律はなく、武力を持つところに良い法律はあるので武力が大事。

 

 

傭兵や援軍に頼ることなく自軍で戦うべきである。傭兵はやる気の無さ、援軍は戦争勝利後の反逆という大きな問題を抱えている。

 

 

君主は軍事戦略のことのみを考え続けるべきで、他のいかなることにも夢中になってはいけない。

 

君主はどういう価値観・思考を持つべきか(15章〜26章)

 

常に善の道を進むだけでは上手くいかないのが世の理なので、君主は状況に応じて悪の道を進み、悪の評判を立てられることを恐れてはいけない。

 

 

君主が気前よく振る舞うことは辞めるべきである。気前よく振る舞うためには君主が貧乏になり尊敬を失うか、人民に重税を課して憎悪を抱かれるかどちらかに陥る。使えるお金の総量は一定なので、誰かに気前よく振る舞うということは別の誰かにケチケチするもしくは害することになる。一部の人に気前良く振る舞うために多くの人民にケチケチすることは良いことかどうか考えるべき。

 

 

人民に対して慈悲深く振る舞う結果として国を奪われて人民を略奪と殺戮の被害に巻き込むよりも、人民のごく僅かに対する残虐な処罰により国力を維持する方が遥かに良い。

 

 

君主は愛されるのと恐れられるのとどちらかを選ぶのならば恐れられることを選ぶべき。人は恩知らずで、移り気で、猫被りで、空とぼけていて、危険を回避して、儲けることに貪欲なので必要に迫られれば裏切る。人は恐れられている者よりも愛されている者を躊躇いなく裏切る。人を繫ぎ止めるには愛によって繫ぎ止めるより恐れによって繫ぎ止める方が優秀である。君主が愛されるときの主体は人民、君主が恐れられるときの主体は君主。君主は自分の意思に基づいて動くべきであり、他人の意思に基づいて動くべきではない。

 

 

愛されなくてもよいが憎悪されてしまうのは問題である。憎悪されずに恐れらることは両立可能である。処罰には正当な理由が必要。身内の死よりも財産を奪われる方が長い憎悪を生み出す。

 

 

闘いには2つの種類があって、1つは法律によるもの、もう1つは力によるもの。君主は人と野獣の性質を併せ持つ必要がある。さらに野獣の性質に関してはライオン(武力)と狐(頭脳)を併せ持つ必要がある。

 

 

信義を守ることにより害が発生する、信義を守るべきに約束した理由が無くなった時には信義は守るべきではない。善を目指して騙されてはいけない。

 

 

騙そうとする人間は常に騙されるがままになっているカモを見つけることができる。

 

 

慈悲深く、信義を守り、人間味があり、誠実で、信心深いという性質が善であり、これらの資質を満たしているように振る舞うべきである。しかし、必要に応じてこれと全くの反対の資質を発揮する人物になりきることできなければいけない。

 

 

君主を裁くものはいないため、君主は結果で判断される。結果さえ立派なものであればそれを達成するための過程は重視されない。大衆は外見と結果だけを見て君主を評価する。

 

 

憎悪は悪行によってのみ発生するのではなく、善行に対しても発生する。状況に応じて彼らを満足させるに何を求められるかを考えて行動を決定するべき。

 

 

人に憎悪を抱かせない方法として次々と戦争や事業を起こして人民に冷静に考えさせる時間を与えることなく実績により自分の地位を強固にするというものがある。

 

 

人の頭には3種類ある。第一に自分の頭で考えるもの、第二に他人の考えを理解するもの、第三に自分の頭で考えられず他人の考えも理解できないもの。一番目が飛び抜けて優れていて、二番目も優秀だが、三番目は無能。君主は一番目でなくても二番目であっても良い。その際は良い側近が必要である。

 

 

すべての人民が君主に本当のことを言って助言ができる環境であれば君主は尊敬されなくなる。選ばれた一部の人間だけが君主に本当のことを言える環境を作るべきである。彼らの助言を聞いた上で決断は自分で行い、反論が出たとしてもその決断にこだわり続けなければいけない。助言を求めるタイミングは相手が望むときではなく自分が望むときだけ。本音を言わない助言者を許してはいけない。良い助言をもらったとしても君主が思慮深くなければそれは活かされないということを覚えておく。

 

 

運命に頼り勢いで目標を達成した者は運命の変化によりすべてを失う。運命は適切な力量による備えによって防ぐことができることも多い。例えば大雨という運命による災害は防ぐことができないが、堤防を立てるという適切な備えによって被害を減らすことはできる。

 

 

運命は女のようなものである。慎重に接するより荒々しく大胆に支配をする若者に女がなびくように、運命もまたそういった若者になびくのである。

 

ひとこと

まず君主論の話の進め方について、明確に「意味のある分類→それぞれの特徴説明→それぞれの対策の伝授」と分割して議論を進めているのが特徴的。今風に言うと意味のあるMECEに分けた上で順序立てて議論を進めて行くというまさにコンサルタントのプレゼンであり驚いた。

 

 

人民を一切信用せず、人間の持つ悪い点に注目して行動指針を定めるのは絶対に失敗できない(失敗したら国は滅びて、君主は殺される)状況ならではの思考・価値観であるが、現代でも通ずるところはある。古典にありがちな度を超えた慎重、度を超えた準備の大切さを説いたものについては早く成果を出すことが求められ、失敗しても次がある現代において参考にしすぎてはいけない面もあるとは感じている。

 

 

君主は理想論ではなく実際的な行動をするべきと強く唱えている一方で君主が理想的な姿だと人民に思われてるということを大切にしているのが実的な話だけでなく心理の影響も考えていて面白い。